裁判の必要性を知っておきましょう。


今さらのようですが、日本には裁判という制度があります。
しっかりと浸透しておるので、私たちは、何か生活の中で困ったことがあれば、裁判で決着をつけるという解決方法があることを知っています。

「社会」という集団生活は、「無秩序」が最も困ることです。

人間が集団を作ったとき、大なり小なりもめ事に欠きません。

動物の世界ではもめ事が起こるのが当然です。
それは、たとえば、異種生物間の弱肉強食であったり、同種同士の権力争いであったり、自然淘汰される生物界のピラミッドが成り立っているわけです。

人間も、動物の一種ですが、文字通りの「力」で生きている動物とはかなり種類が異なります。

人間は、知能を持つことで、地球を支配しているのです。
知能は、グループ(民族や国家)を作り、集団生活へと発展してきました。

集団の力で動物界を制した人間は、力(パワー)のみで他を抑制することはできないことを知っています。
1対1で戦ったら、ゾウやライオンには到底勝てないですものね。

また人間同士の中でも、力だけでは生きていけないので、ルールが必要になってくるのです。
人間社会だけでなく、ルールのはっきりしている生物は、他にもたくさんあります。
集団で生き延びるためには、ルールに沿って生きていかねばならないのです。

どんな集団にも、ルールを破る者がでてしまいます。
それは、「やってやろう!」という「あえて」の行動であったり、
「仕方なく」やらされることだったり、
「思いがけない」事故だったり、
その原因は様々です。

しかし、ルールがある以上、出来事は「事実」が重要です。
ルール違反には、制裁が加えられます。
でも、その事情を考えてほしい…と思いますよね。
これが、「裁判」です。

裁判では、「客観的な判断」によってもめ事の解決を図ります。
客観的な判断とは、法律に照らし合わせ、第三者がもめ事を起こした人(複数人のこともあります)を従わせることです。

法治国家においては、「裁判」は、紛争解決の最も基本的な方法です。

法治国家とは、法律によって権力が守られている国のことです。
もちろん日本は法治国家です。
しかし、実際には、世界の国の中には、法律があっても、とても法治国家とは言い難いところもたくさんあります。
君主や役人に裁量権がある、いわゆる独裁ってヤツです。

人間にはルールがあると言いましたが、細かいルールはグループ単位で決められているものです。
家でもお約束に始まって、学校での規則、会社での規則、県での決まりごとなどなど、グループの構成はいろいろです。

一番大きなグループは「国」です。
だから、「日本」での決まりごとは、他の国に行っても通用しません。
たとえば、日本で暮らしているなかで、家の中に銃があるなんて考えられません。
でもアメリカでは、銃を持つことは合法です。

困るのは、よその国の人同士が、出入りできる時代なのに、そこの地域のルールがよく理解できないことです。
それは、「言葉」が理解できるかどうか、というコミニュケーション上の問題から、地域性、民族性といった問題も含まれています。
日本には「郷に入れば郷に従え」という諺があって、それぞれの風習とともにそれぞれのルールがあるということも十分理解されていますが、
世界中の人々が、みな、同じ道徳観を持っているわけではないので、様々なトラブルが発生してしまうのでしょう。

話が大きくなりましたが、
本題は、裁判のことなんです。
日本に住んでいて、日本の法律に従って生活していることを前提としてください。

つまり、法治国家なので、何かのトラブルに巻き込まれたときは、裁判によって解決することができます。
裁判は公平なものです。
公平ということは、自分が優位に立ちたいと思っている側からすれば「不服」な場合もありますが、
第3者の立場から見ると、大方の人が納得できる仲裁をしてくれるのです。
法制度がしっかりしていて、裁判制度も認められている国にいると、安心して生活することができます。
つまり社会的なルールがしっかり機能しているうちは、まずまず平和なわけです。

もちろん、法治国家においても、人間の最も汚い部分である「力(権力)」が社会の中には存在することは否定できません。
日本ほど平和だと言われている国でも、時々びっくりするような不正が明るみに出ることがあります。
だいたい大きな事件は、「金」が絡んでいます。
企業から政治家に金が渡されたとか、政治家が自分に都合のいいように金を使ったとか、です。
もちろん、国民である私たちは怒ります。
しかし、悲しいかな、直接サイフから盗まれたわけではないので実感として、我々の金の行方が分かりにくいという事実があります。

また裁判の説明から離れてしまいました…。まとめておきましょう。
私たちは、おおよそ普通の生活をしている範囲のなかでは、「共通のルール」である各種「法律」に従い、
「裁判」によって善悪が判断されるのが妥当です。
少なくとも、戦後の義務教育を受けている日本人は、社会の勉強でそう教えられており、実際に法に守られて生活しているのです。

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