宗教

◆宗教

「宗教」というはっきりとした信条上での問題は、法制度の中に含めなければならないほど重要な問題になります。
宗教っぽい考え方や、集団も多いので、どこで線引きするのかは、とても難しいところですが…。

たとえば、キリスト教では、聖書の中にはっきりと「人を裁いてはならない」という教えが書かれています。

日本国憲法では、第20条で「宗教の自由」を認めています。
優劣順位では、
憲法 > 法律
ですから、
信仰上の理由によって、法律が守れないのは、一慨に「違法」とは言い切れません。
ただ、「信仰」は「心」の問題なので、それを証明するのがたいへんなのです。

キリスト教とて、国の法律を差し置いてまで教えを守れ、とは言っていません。
信者が、厳格な解釈をしてしまうと、法の順守と宗教のどちらが重いかというとても難しい判断を強いられることになり、それが心の負担になってしまうのです。

裁判員法では、裁判員の職務によって「精神上の重大な不利益」を生じる場合には、辞退が認められると定めています。
つまり、裁判に参加することで、とても耐えがたい苦痛を受けることがはっきりしている場合には、それが辞退理由となりうるのです。
宗教上の問題は、ここに含まれます。

しかし、その運用については、判断が難しく、どの程度認められるのかは、運用実績が進まないことには何とも言えないという、とても中途半端な段階です。
人生観、信念、心の葛藤を判断するには、現状の抽出方法では、最終審査でもある裁判長との面談しか場がないからです。

なにしろ、多くの候補者が「なんとなく不安を抱える」状態です。
信仰心がなかったとしても、人生観が変わったり、物事を深く考えたりするきっかけになるはずです。

実際には、いくら法の素人が参加するといえど、心の不安を抱えている状態で裁判に参加することにないように、選抜されるのでしょうが、本当の意味で、幅広い国民の意見が求められるのか、不安が残ります。

ただ、裁判員の仕事で把握しておかなければならないのは、「事実認定」であって、刑の裁量に関しては、法に照らし合わせなければならないということです。
それを、裁判員=人の裁きと考えると、信者でなくとも、誰しも不安になってしまうのは当たり前のことで、制度の趣旨を浸透させることが大事だと考えられています。

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